翼と喧嘩した。別に、珍しいことじゃない。

小さな喧嘩は何度もしたことがあるし、大抵はその日のうちに仲直りする。何でか謝るのは私の方が多い。

夜間の授業を1コマだけ受け、今は自動車学校の送迎バスの中で、喧嘩した私たちは隣同士には座ってはいない。

私は3列あるバスの一番前の席に座り、一番後ろに翼が座っている。

今回の喧嘩は私は悪くない。

自動車学校で中学時代仲の良かった男の子の友達と会って、世間話程度の事を喋っていただけなのに翼が 「ほら、急いでるから早くしろよ」と特に急いでもいないのに私の手を引いて、強制的に会話を終了されたのだ。

バスに乗る前になぜあんな事をしたのか訊ねても翼からは一言も返ってこなくて、そっちがその気ならという負けず嫌いさが出てしまい、今の状況に至る。

何なんだろう。考えれば考えるほど苛立ちが募ってしまう。

自分を中心に世界が回ってる訳ではないし、翼が私の知らない女の子と喋っている時だってあるのだ。

永遠と答えの出ない、苛立ちしか生まれない事を考えながらまだ出発していないバスの外を見ていると、女の子が乗り込んできた。


「あれ、翼くん?久しぶりだね。元気だった?」


その子は翼の知り合いだったようだ。

さっき私が友達と会話した内容そのままを女の子が翼に言ったので、肩がピクリと反応してしまった。

それが普通なはずだ。久しぶりに会えば、久しぶりだね?と言うし、大体の人が元気にしてた?と言うはずだ。

小さな送迎バスでは聞き耳を立てずとも会話が聞こえてしまう。

ましてや高めの女の子の声は良く聞こえてしまっていた。

翼に投げかける話の内容は今後の進路の事や学校生活の事ばかりだった。

もしかしたら、中学生の時翼が好きだった女の子だったら嫌だな、と思っていたのだが、今の所それらしい雰囲気は無く少し一安心していたが、 女の子が今一番聞いてほしくない質問をしてきた。


「翼くんって今、彼女いるの?」

「あー・・・うん、いる」


よく考えたら今、この状況は私が怒っても良い状況なのではないだろうか。

翼は私が友達と喋ってたらいきなりバスに連れて行ったくせに、自分は友達と普通に喋っている。

さっきの「いる」と言う前のあの微妙な困った様な間は何だったのだろう。

とうとう嫌われてしまったのだろうか。なら、そんな嫌味なやり方じゃなくハッキリと「嫌い」だって言ってくれた方が楽だ。

唯一救われたのは、女の子が私の事を全く気にしていないということだった。

翼が私の事を紹介しない限り、こっちに話は振ってこないし、 ましてや遠くに座っている人が彼女ですと紹介しても紹介された方は何故隣に座らないのかと疑問に思うに違いない。

頭の切れる翼ならそんな面倒くさい事はしないだろう。


「いるよね。翼くんなら。彼女は進学?」

「そう。専門学校。保育系のね」

「へー、保育士さんになるんだね」

「うん。小さい子供好きみたいだし、オレも合ってると思う」

「翼くんは大学なんでしょ?噂で聞いたよ。バラバラだね」

「そうだけど、一生会えなくなるわけじゃないし、近いから会いたい時に会えるしね」


その一言を聞いてなんだか恥ずかしさやら嬉しさやらが込み上げてきて、苛立ちは何処かへ吹き飛んでしまった。

私は嫌われてしまった訳ではないようだ。しかも、保育士が私に合っていると思ってくれていた事も初めて知った。

どうして良いかわからず、両手で顔を覆っていて気付かなかったが、「この辺で停めて下さい」と言う翼の声で外の景色を確認すると、 いつの間にか私が降りなければならない場所までやってきていた。

翼はこの辺で降りたら自分の家までは歩くには遠い距離なのだが、いつも一緒に降りて家まで送ってくれる。

そして、お母さんが翼の分の晩御飯も用意しているから、うちで食べて行く。週の半分位はうちで晩御飯を食べているのではないか。


私の通っていた中学校の隣の飛葉中に通っていた翼は本当はもう少しバスに乗って行った方が楽なのだ。

しかし、今日は状況が状況だ。私たちは喧嘩中なのだから。

翼が女の子とこんなに饒舌に喋るのは珍しい事で、中学時代仲が良かったのかなと考え、胸がチクリと痛む。


「翼くんの家、この辺じゃないよね?」

「うん。もうちょい行く」


翼がそう言い終わると同時にバスは国道の路肩に寄って停まった。

1列目に座っていた私は停まるとすぐに立ち上がり、ドライバーのおじいちゃんにお礼を言ってドアを開け、バスを降りた。

年式の古い3列しかない小さな送迎バス。ドアの開閉は勿論、手動だ。

地面に降り、ドアを閉める為に振り返ると翼も降りて来ようとこちらに近付いてきていた。

女の子に何か言われたのか笑顔で私を指差している。


「こんな夜遅い時間に彼女を一人で歩かせる彼氏はいないよ」


ドライバーのおじいちゃんに頭を下げ、私の隣に降り立つとドアを閉めて私の手を握った。

バスは再び国道の車の流れに乗ると、私は翼に手を引かれ歩道まで移動した。


「・・・乗ってれば良かったじゃん」

「何で?」

「あの女の子と仲良さそうに喋ってたから」


風が吹くと凄く冷たい。段々と秋を感じる寒さになり、制服のブレザーだけでは寒さを凌げなくなってきている。

でも、翼と繋がれた手だけは暖かく、身体全体が寒くても風を凌げる場所へ移動する気にはなれなかった。


「その気持ち、オレ凄いわかった。今日、さっき」

「その気持ち?」

「だから、その今のの気持ち」

「私の今の気持ち?」


女の子と仲良く喋って・・・所謂、嫉妬している訳なのだが、私が男の子と喋っているのを見て、翼も嫉妬してくれたのだろうか?

高校でも私は男の子と普通に会話をするが、そんなそぶりは一切見せたことのない翼が嫉妬をするとは考えにくい。


「オレの知らない時のを知ってる奴と仲良くしてるの見るとムカつくんだよね。の今の気持ちも、そんなもんでしょ」


ストレートに言われて、私は翼を驚いて見つめた。大体その通りだ。

ただ、私の場合は昔の友達とか今の友達とか関係なく、女の子と2人で話しているのを見かけてしまったらモヤモヤした気持ちが湧き起こってくる。

翼が嫉妬してくれていたのが嬉しくもあり、恥ずかしくもあり、さっきまで寒く感じていたのにじんわりと暖かくなってきた。


「さっきは悪かったよ。が凄い笑顔だったから、余計嫌だったんだよね」

「うん。謝ってくれたし、翼が好きだから許す」


翼と繋がれている手をぎゅっと握ると笑って握り返してくれた。

そんな笑顔を見せられたら、いくら喧嘩したって嫌いになれる訳がない。あぁ、だからいつも私が謝っていたのか。


「俺もが好きだよ」


そう言って見せれくれた笑顔はさっきの笑顔より照れている様で、私はいつか翼が好き過ぎて死んでしまうのではないだろうか。

繋がれていた手は翼の制服のズボンのポケットにしまわれ、とても暖かい。

自分の家までは徒歩5分。あっという間に着いてしまった。

家に着いて、家族への挨拶もそこそこに済ませ、2階の私の部屋へ行く。

翼が自分の家の様に階段を先に上り、私の部屋のドアを開けて入ると、振り返って両手を広げる。


、おいで」


恥ずかしくて少し固まってしまったけれど、ゆっくりと翼に手を伸ばすと、強く抱きしめられた。


「ごめん、痛い?」

「ちょっと苦しい」

「歩いてる間、我慢してたんだから、ちょっとだけ我慢してよね」


1階から、ご飯の準備が出来ていると呼んでいる声がして、ドキドキしたけれど、翼に抱きしめられていると思うと離れたくなかった。





好きだから許せること





080429 家長碧華(151110改)
 タイトル提供:てぃんがぁら