自分の部屋からメガネを取ってこようとソレを探しているときにリビングから鋭い音との小さな悲鳴が聞こえた。なにか皿でも割ったか?と丁度見つけたメガネを乱暴に握り、リビングへと急いだ。指でも切っていたら大変だ。
「!どした?」
「元希ー…マグカップ割っちゃった…。しかも元希からもらった大事にしてたマグカップ」
「ソレぐらいまた買ってやるって。ケガはしてねえか?」
あまりにも泣きそうな顔をしていたからどこかケガでもしたのかと思った。オレの問いにはゆっくりと顔を横に振ったからケガはしていないらしい。良かった。とりあえず一安心だ。
握りしめていたメガネをかけてよく見ると床にはマグカップの欠片がちらばっていた。スリッパを履いているおかげで足をケガする心配はないようだが拾って手を切るということも考えられる。特に後の事など考えずに行動するなら大いに考えられることだ。ソレはカンベンして欲しい。がケガするのなら、変わりにオレがケガした方が…と思うようになっている自分に驚く。学生の頃のオレを知っているヤツが今のオレを見たら、多分目を疑うだろう。ソレくらいオレの中心は、なのだ。
割れたマグカップを悲しそうに見つめているはまるで子供のようで、頭をポンポンと軽く叩いてやり、慰めるように髪をクシャクシャにしてやる。落ち込んだときにコレをしてやるとは笑って「もー元希!」とオレの名前を呼ぶ。
でも、今日は違った。オレの名前を呼ぶどころか俯いたまま、顔を上げようともしない。また買ってやるから、とさっきと同じ言葉を並べても効かないのはわかってるが口を突いて出て来るのはこの言葉で、ソレ以外に良い言葉が見つからない。野球ばかりやっていたからバカなんだという周りの声に、オレは否定し続けてきたが、周りの見方の方が正しかったらしい。愛しい人に上手く言える言葉が1つしか出てこないのだから。
しゃがんで素手で割れた大きな欠片を取ろうとしているのを止めさせ、ちりとりはどこかと探す。「ちりとり、こっち…」とに持ってきてもらわないと場所すらわからない。なんでもに任せっきりだと知らされる、こういう何気ないときに妙に胸が締め付けられる。オレは家のことなんか何も知らないんじゃないかと。実際、反論出来そうにはないのだけれど。
を離れたソファーまで連れて行き、ちりとりで全てを拾って掃除機もかける(掃除機の置いてあるところはわかった!)何度も何度も同じところをキレイにする。これで大丈夫なはずだ。
ちりとりと掃除機を元の場所に戻しを見やるとソファーの上で膝を抱えて顔を埋めていた。泣いているのかと思った。呼び掛けるとピクッと反応してゆっくりと顔を上げる。泣いてはいなかったが、泣きそうな顔のままだった。
「今からおんなじやつ買いに行くか?」
「…意味、ないんだもん」
「は?」
「おんなじやつ買ったって意味ないんだもん。アレは元希は覚えてないだろうけど、初めてのデートで元希が買ってくれた私の思い出のマグカップなの」
そうだったのか。オレが買ってやったのに全然思い出しもしなかった。初めてのデートということは…5年程前だろうか。そんな前のモノを今でも大事に使ってくれていたのが素直に嬉しかった。余程大事にしていたのだろう。割れてしまっただけで涙を堪える様にしゃべるをただ、愛おしいと感じる。
(5年も前じゃ、同じマグカップは売ってねえかもなあ…)
黙って聞いていると、何かが外れたようにはしゃべり続けた。ソレは今まで知らなかった部分で、気付かなかった部分でもある。
「初デートの前日なんてスゴい緊張して、可愛く見られたいって思って。カッコイイって女の子にモテモテな元希を独占出来ちゃうんだよ?元希が彼氏なんだって、元希が私のことすきなんて奇跡みたいだって、嬉しくて。当日は元希がちゃんとエスコートしてくれるしさ。あのマグカップ見てるとき初めて手繋いだの覚えてる?覚えてないよねー…。ははっ、覚えてる方がキモチワ…」
「覚えてる」
「…え?」
「正確に言えば今思い出したんだけどな。あー思い出した!あんときのマグカップか、アレ。オレ、マグカップなんかよりと手繋いでるってことに心臓バクバクしててよ。そうだ、オレもすげー緊張した」
なんだかアノときの興奮と緊張感が襲ってきている気がして恥ずかしくなる。がジッとオレを見ているんじゃないだろうか。チラッとを見ると、驚いた様にこっちを見ていて、予想通り目が合った。そんなに驚くことないだろ、と天井を見上げて痒くもない後頭部に手をやる。はぐらかすときのいつもの癖だ。
「元希が緊張するの?」
「自分でも思ったぜ。でも、緊張したんだ。告るときだって、手繋ぐときだって。イチバン緊張したのが…」
「したのが?」
今のの表情は生き生きとしている。さっきまで涙を堪えていたヤツだとは思えない程の変わりように笑ってしまいそうだ。
言葉の続きを「早く」と急かす様な目でオレを見てくる。変に誤魔化すと後でややこしくなるパターンだ。ここはストレートで行くしかない。ストレートしか投げられない状況に陥ってしまったと言った方が正しい。そして、オレのストレートは完璧に打ち返されるのだ。
「…の両親に挨拶に行くときがすっげぇ緊張した」
「全然緊張してる風には見えなかった…!だって堂々と、娘さんを下さいって言ってたじゃん」
「オレ頑張ったなー。すげぇ頑張った」
「ドラマだけだよ、あんなの。お父さん全然怒んないもん」
娘を真剣に怒る父親もいるだろうが、大抵は娘には弱いものだ。ソノ大事な娘の彼氏なんて許せない存在だろう。事実、オレは挨拶に行くときまでのお父さんに会ったのは1度きりだった。会ってもらえなかったのだ。ソレに対して(ちょっと言い方は失礼かもしれないが)お母さんスゴく優しい人での性格は母親譲りだとハッキリ言える程似ていた。よくと2人でオレの試合を観に来てくれていたし、の家に行けば笑顔で喜んでくれて、オレとばかり会話するもんだからが嫉妬したくらいだ。
前と比べればお父さんとも少しずつではあるけれど仲良くなっている気がする。今までチケットを3枚渡していて、とお母さんが来てくれているだけだったけど、最近ではお父さんも一緒に来てくれていることが増えたらしく、フルで3枚使われているようだ。の夫だと認められた証拠だろうか。一軍に上がれたときの様な喜びを感じた。
「お父さん、ちゃんと元希のこと気にしてるから安心しなよ」
「え?」
「時々電話くるの。元希が負けた試合の次の日とか、新聞で色々と書かれた日とかに。元希くん調子悪いのかー、ちゃんとバランス考えた食事にしてるかーって。最近じゃお母さんよりうるさいんだから」
「…マジ、で?」
信じられないことを聞かされたような嬉しすぎる知らせに自分でも顔がニヤついているのがハッキリとわかる。「ほら、顔ー」と両手で挟まれても嬉しいものは嬉しい。切り替えなんてそんなすぐに出来るほどオレは出来た人間じゃないから緩んだ頬は緩んだままでもいいじゃないか。チームの監督に認められたことよりも嬉しいと思ったほどなんだ。
それに目の前の自身の頬だって、さっきから緩みっぱなしだ。なのにオレにはソレを注意する。説得力なんてあったもんじゃねぇ。
「今度、ん家行くときはお父さんもいるときな」
「いっつもいるよー。元希、うちに行くのってほぼ土日じゃん」
「…平日に行ったらなんか迷惑そうだろ!?それにお父さんがいない平日を狙って行ってると思われたくないし」
「ははっ、元希らしい。というか、元希がそこまで気を遣ってたなんて知らなかった。もう家族同然なんだし。むしろ私の方が元希のお母さん方に気を使う立場でしょ」
そう言ってはいるが、は充分できた嫁だと思うし、何よりオレの親が「ちゃん、ちゃん」で、つまりはお気に入りなのだ。それこそ、家族のように仲が良く、嫁姑問題?なにソレ、美味いのか?って程無縁な問題だった。
それに姉貴がを可愛がりすぎで、を見つけるとすぐに抱きついてきて、なぜかオレに勝ち誇ったような目で見てくる。ムカつくからすぐにをオレの腕の中に閉じ込めて、今度はオレが勝ち誇ってやるのだ。ソレに親が「何、親の目の前で!」と騒ぎ立てて…を会う度に繰り返す。百歩譲ってオレも含め、全員バカだ。
ポンポンと今日何度目かもわからないくらいの同じ行動を取る。小さい頭だ。目一杯手を広げればすっぽりと収まってしまうんじゃないだろうか。それに、抱き締めたり、キスをするのと同じくらいオレはこの行為がすきだった。
「母さんたちは気遣われるのに慣れてねえからさ、あんまり考えんなって。むしろ、そのままののがイチバン喜ぶ」
「喜びはしないでしょー!大事な大事な将来有望な1人息子がよくわからない女と結婚してさぁ」
「ちょっと待て。なんでそうなるんだよ!?」
「普通にそうなるよ。だから、元希のお母さんたちが優しくて本当に良かったー」
つい数分前のマグカップ事件(勝手に命名)は忘れ、目の前でニコニコと笑っている。今日は新しいマグカップを探しには行かないのだろうか。
メガネを少し上にずらして、気が付いた。何のために部屋へメガネを取りに行ったのかが思い出せない。オレもマグカップ事件を一時的にでも忘れて、必死でソッチを思い出そうとした。
ほころぶ口元を隠しきれない
(なんでオレ、メガネを…)(元希、頭大丈夫…?)(にだけは言われたくねぇよ)
090310 家長碧華
タイトル提供:as far as I know