(あ、翼だ…)


休日前の平日は明日は休みだからと、友達と遅くまで遊ぶことが多い。今日もいつも通り、ショッピングに行き、ご飯を食べてきた。もうすぐ23時を回るところだ。

駅から乗り込んだバスの中で中学校のときから密かに想いを寄せている翼を見付けてしまった。高校も一緒だったけれど同じクラスになることができず接点など殆んどなくして卒業してしまった。翼は頭が良いと有名な大学に進学したはずだ。それも片道1時間半は掛かる遠い大学だ。私なら無理だなぁ…と感心していたのだ。

翼は通路を挟んで3つ前の1人掛けの席に座っていた。白いイヤホンで音楽を聞いている。少し俯き気味で座っている辺り、眠っているのだろうか。

私も席に座ってしまっていたし、何より私が座っている席は2人掛けの席で窓側だったから、わざわざ隣のおじさんに断って立つのも…と思い、話し掛けるという行為は考えてもいなかった。ただ、時々人と人との間から見える少し大人びた翼の斜め後ろ姿が私の心をキュッとさせた。高校を卒業してからもまだ翼のことがすきなんだなぁと気付くのには充分だ。それに高校のときよりも、当たり前だが男らしくなっていてかっこよさが増した気がするのはすきな人だからそう見えてしまうのか。

翼と降りるバス停は一緒。そう思ったときにやっと自分の中で【話し掛ける】ことへのチャレンジが湧き上がってきて心臓がバクバクと激しく波打ってきている。


(翼はイヤホンをしているから話し掛けても聞こえないよ)


そう自分に言い聞かせて、積極的に行けないでいる私は降りる人の列の最後尾に並んだ。私の何人か前に翼も同じように並んでいる。

地面に降り立つと再び翼の姿を目で追いかけた。歩くスピードが違う。同じリズムで歩いているはずなのにどんどんと翼との距離が開いて行く。


(やっぱり話し掛けるなんて無理だよなー。だって、なにしゃべったらいいのかわかんないし!見れただけでも良かったんだよ。うん!)


そう心の中で自己完結して私は私のスピードで歩いていた。翼が曲がり角で車がきていないか左右を確認しているときに目が合った気がした。一瞬、自分の足が止まりそうになる。


(い、いや、目が合うわけないよね!向こうは私のこと覚えてるかどうかも怪しいし!)


恥ずかしさがどうしても勝ってしまい、すぐに目を逸らしてしまう。ずっと見ているからいけないのだ。変にこちらだけ意識したってどうしようもないのに、どうしてか見つかった!と焦ってしまい、必要などないのに逃げようとしてしまう。こういうときの自分の性格がイヤになる。もっと積極的に行ける自分になりたい。そうしたら、翼は振り向いてくれるだろうか。

逃げ出す体勢に入っている私を余所に翼は何事もなかったかのように本当にただ車の確認をしただけのようで、再び歩き出した。


(気付くわけ、ないよね)


スピードも歩幅も変えずに翼が通った道を歩いて行く。なのに、今度は翼との距離が縮まってきている気がする。翼の歩くスピードが遅くなっているのか、それとも気付かないうちに私の歩くスピードが速くなっているのか。ソノ答えは明らかに前者の方だった。翼のリズムが遅くなっている。

もう2メートルほどの距離にまで近づいてきている。追い抜く?それともこのまま翼のスピードに合わせてだらだらと帰る?近づいたことによってまた激しくなってきた心臓と相談した結果、スゴい勢いで追い抜いてしまえ!という結論に至った。この暗さなら私だと気付きもしないだろう。


(よし…ッ!)


翼と話したいのか話したくないのか自分でもわからなくなってきて、ソノもやもやを吹き飛ばすように心の中で1つ掛け声をし、翼と並ぶか並ばないかした瞬間に「やっぱ、じゃん」と声変わりはとっくに終わっているにも化かかわらず、やはり少し高い声音で私の名が紡がれる。この声がすきだ。心地よく耳に入ってくる。普段はちっぽけな何も感じない自分の名前でも、翼に紡がれるだけで私の名前はどこか鮮やかな光を放っている気さえしてくるのだ。

一瞬、私の頭はフリーズし心臓は反比例するように今日最速で激しく動いている。アノとき、目が合った気がしたのは気のせいではなかったのだ。もう暗くなっている中でも私だと気付いてくれた。緩みそうな頬を抑えたのは相変わらずうるさい心臓だった。



「なんで声掛けてくれなかったんだよ。後ろにいたんなら気付いてただろ?オレだって」
「いや、私のコトなんか覚えてないかなーって思って。ほ、ほらッ!翼、音楽聞いてたしさ!」



いつの間にかイヤホンが首からぶらさがっていて、ジーンズのポケットに両手を入れて「オレの記憶力をなめないで欲しいんだけど」と言って軽く笑った。

覚えていてくれたという事実が嬉しかった。それに、翼の方から声を掛けてくれたというコトも。恋する女の子はそんな僅かなことでも、嬉しくて、嬉しくて、今日仕事でミスをして怒られたことなど軽く吹き飛んでしまうのだ。

横に並んでゆっくりと歩く。私たちをかわしてサラリーマンの男の人が足早に過ぎ去って行った。



「就職だっけ?」
「うん、そう。社会人やってます」
「事務?なら販売も行けそうだけど」
「私は事務ー。今日もミスっちゃったよ…」
「まぁ、は変なとこ抜けてるからね。しなくてもいミスでしょ、どうせ」
「そんなことないもんッ!」



また翼が笑う。先ほどとは違う、楽しさを含んだ笑みでキレイに笑った。


(このままずっと一本道ならいいのに)


私の家はバス停から歩いて5分と掛からない便利な距離にある。いつもなら便利だ。そう、いつもなら疲れた身体を歩かせる距離が5分しかない。それでも、ソノ5分の距離が億劫に感じることさえあった。しかし、今日はソノ【いつも】には当てはまらない例外の日。すぐ目の前のこの交差点を私は左に、翼は右に行かなければならない。せっかく声を掛けてくれたのにもうすぐお別れだ。次はいつ会えるのだろう。そう考えるともう会えないみたいで淋しくなる。

残念だけれど私の家は左だと告げると「そっか」と一言だけ返ってきた。そうだよ。そう言う間も与えてもらえない程、すぐに翼が言葉を紡いだ。



「こんな遅いけど時間ある?なんなら家まで送るけど。暖かくなってきたこの時季は不審者がイチバン多いんだよね」



ソレは考えてもいなかった言葉だった。一瞬、私は何を言われたのか理解出来ずに翼の顔をただ見つめてしまった。2人の歩みが完全に止まる。翼がケータイで今の時間を確認して「もう11時半だ」と呟いた。



「あ、時間なら大丈夫だよ。なにもすることないし…お風呂入って寝るだけだから。それに送ってくれなくてもいいよ!?うち、翼ん家と逆だもん。私みたいな可愛くない子を襲うモノ好きはいないよ」
「可愛くない?なに言ってるわけ。いいよ、別に。オレも帰ってもどうせヒマだしね。ほら、こっちだろ?ん家、なんとなくわかる気がする」



翼の足が交差点の左側へと向いて再び歩き出した。促されるように翼について行く。

可愛くないと言ったことを否定された。お世辞だろうが嬉しくて頬が、耳が、熱を持つ。途切れてしまった会話を繋ぐことよりも今はソノ【否定された】という方に頭がいってしまい、嬉しさでどうにかなってしまいそうだ。



「ねぇ、
「ん?」
「彼氏いるわけ?」
「え!?…彼氏?」
「そう。どうなのさ」



今日の翼は私が予想もしないないことばかり言ってくる。そんなこと聞いてどうするのだろう。いないと言えば付き合ってくれるわけでもなしに…。

翼以上にすきになれる人が見つからなかったこの何年間は翼以外の人に恋をしたことすらなかった。簡単に諦めがつかないから恋を苦しいのだと知ったのだ。



「私に彼氏がいるように見える?」
「うん。見えるから聞いたんだけど」
「見えるならありがたいわ。だけど、彼氏はいません。残念ながら、いないんだよー。翼は…彼女いるでしょ?」
「オレもいないよ。なんでいるって決めちゃうわけ?オレこそ、いるように見える?」
「見えるに決まってんじゃん!翼モテるもん」
「ほら、ん家ここでしょ。バス停から近くていいじゃん」



自分からこの話題を持ち掛けてきたくせに逃れようとする。なんだか翼らしくない。

でも、家に着いてしまったのは本当らしい。翼の言う通りここは私の家だ。なんとなくわかると言ったわりに、ピンポイントで私の家の前で止まっている。小学生だった頃何度か遊びに来たときのことを覚えてくれていたのだろうか。自分でも言う通り、記憶力はすごいらしい。

送ってもらったお礼を言うと翼は元来た道をまた戻ろうと背を向けて歩き出した。この背中を見るだけで終わるはずだったのに、声を掛けられて、はなしができて、更に家まで送ってもらった。今日は朝の占いが何位だったのか思いだせない程の中途半端な順位だったはずなのに1位のときよりも良いことが起こった気がする。



!」



カギをカバンから取り出そうとしたとき翼が私の名を呼んだ。顔を上げると、こちらを見ている翼と目が合い、翼が一歩前へ出た。



「あのさ、大学行っても以上にすきになれるヤツいないんだよね。どうしてくれるわけ?に彼氏がいれば諦めもつくんだろうけど、いないんでしょ?…諦めがつかないんだよ。オレ、どうしたらいい?」
「…え?…え、翼?」
がすきなんだよ」



真っ直ぐな真摯な瞳で私を見つめ、口から紡ぐ声はどこか苦しそうで切ない響きがした。一歩一歩を確かめる様に翼が近づいてくる。逆に私はソコに縛られたように足を動かせずに立ち尽くしていた。

ソノ言葉は私が願っていた一言ではないのか。そうだ。翼と両想いになれたら…。何度そう思っては現実を見つめ諦めようとして、できなかったか。



「翼ッ」



名前を呼ぶと翼は止まった。少し視線を下げてクセのある前髪が頬に掛かる。表情が見えなくなった。



「私今夢見てるみたい。すきな人にすきだよって言われてる。スゴくない?すきな人が私のことすきなの。キセキだよね」
「…なにソレ。オレ良いように取るけど文句言わないでよ?」
「…うん」
?」
「あ、今来ちゃダメ。酷い顔してるもん。せっかくすきになってもらえたのに…ただでさえ可愛くないんだから泣いたら酷い…」
「だから、なんで可愛くないってさっきから決めつけるわけ?たとえ誰かがそう言ったとしてもオレが惚れたのはなんだから。少しくらい自信持ってくれないとオレが切ないんだけど」



ふわっと柔らかな温もりに包まれ、ソレが翼だと理解するとキュッと背中に腕を回して顔を埋めた。翼の匂いで満たされていく。私の後頭部に添えられている右手が優しくあやすようにポンポンとリズムを取る。



「オレが泣かせちゃった?」
「翼に泣かされたー…ッ」
「泣かすつもりなんてなかったんだけどね」



少し強めに抱きしめられて、優しい声で謝りの言葉が紡がれる。頬に軽い口づけを落とされ、細く骨ばった長い指で涙を拭ってくれた。



「なんか照れくさい」
「そう?別にキスしたわけでもないじゃん」
「そうだけどさー。すごい急すぎて…いろいろと」
「まぁね。今日は我慢してあげるけど次のデートでキスだからね」



そう言って翼は楽しそうに笑った。

これから翼の隣にいる自分を想像すると本当に夢の様な気がするけれど、現実のことになるのだ。目の前で小首を傾げている彼は私の彼氏なわけで、自然と表情が笑顔になる。

つい数分前まで名残惜しかった別れも、しっかり(ちゃっかり?)した翼は次に会う日を決めてから別れの言葉を告げた。それだけで見送る翼の背中がバスの中で見つめていた片想いのときよりも愛しいと感じてしまう。ただいま、と家に入るまでにこの緩みきった頬をどうにかしなければ…。今の最大の問題はそんな小さなことだった。





劇的な瞬間が、こんなにも穏やかにやってくる
 (ただいまー)(おかえり。どしたの、なんで笑ってんのよ)(え、なんでもないよッ)





090525 家長碧華
 タイトル提供:as far as I know