「翼、お買い物一緒に行かない?」
「もパパといくー!」
そう言われてオレは笑って、もちろん行くよ、と答えた。オフの日はなるべくを手伝ってやりたい。それにせっかくのオフなのだから家族と過ごす時間を大切にしたいと思っている。携帯と財布をジーンズの後ろのポケットに入れて、もうすぐ3歳の愛娘を抱きあげる。車のキーを掴み、駐車場までの道のりはもちろん大事な奥さんの歩調に合わせるのも忘れない。2人を乗せて近くのショッピングセンターへ車を走らせた。
はもうすっかり歩けるようにはなったが、ときどきおぼつかないこともある。1人でどこへでも行くようになり、常に目を向けていないと危なっかしくて心配でならないのだが、親の心子知らずで当の本人は嬉しそうに歩いている。家では床に余計なモノを置かないようにして自由に歩かせてはいるが、こんな人が多い場所で1人で歩かせてはいろいろと危険だ。
いつもかカートに大人しく座っているというが、今日はオレがいるからか、車を降りてすぐに抱っこを要求してきた。もともと抱っこされるのがすきなせいもあり、やっぱりカートよりも抱っこされている方がいいらしく、座らせようとしたら「やなのー!」とオレの服を握って離さなかった。
「じゃ、大人しくパパに抱っこされてなさいよ?」
「あい」
「はい。良い子だねー」
カートはが押すことになって、オレはを抱っこしたままの隣を並んで歩いた。
「翼、なに食べたいー?」
入ってすぐの野菜コーナーを通りながら尋ねられて少し考える。はにではなく毎日オレに夕飯のメニューを聞いてくる。すききらいの少ないは「アレが食べたい」と主張することがあまりなく、「夜はなに食べたい?」と聞けば「パパがたべたいやつ、もたべるの」と言うそうだ。自分の娘だからなんてことは抜きにしたって可愛すぎるだろう。ソノ話を聞いたとき言葉にできないくらいの幸せを感じた。
しかし、が作る料理はどれも美味しくていつもソノ質問には悩むのだ。何が食べたいだろう。ポテトサラダ、シチュー、カルパッチョもいい…昨日はの得意な中華だった。今日は何がいいだろうか。
「あ、パスタ系がいいな」
「パスタ?なにパスタにしようか?」
「サーモンとアスパラのクリームパスタだっけ?前に作ってくれたヤツ。アレがいいな。あとイタリアンサラダも」
「ん、了解。トマトもたまねぎもあったはずだから大丈夫。アスパラとサーモンとパスタを買わなきゃね。えーっとアスパラ、アスパラ…」
アスパラをカゴに入れ、パスタのコーナーへ向かっている途中が急に暴れだし「おりたい!パパ、おりたいー!」と足をバタバタさせだした。お菓子のコーナーにでも行きたくなったのかはわからないが、こうなったら言うことをきかないのが子供だ。下手に泣かれるとお手上げ状態。そうなる前にすきなようにやらせるのがイチバンだと父親になって知った。もちろん、やってはいけないことをやったときはきちんと叱ってやるのが大事だ。
地面に足が着くと嬉しそうに笑って走り出した。誰かにぶつかりそうなのも恐れずにとてとてと走っている。オレもすぐ後ろについて見失わないように注意していたらを見失ってしまった。多分、今晩のメニューも決まったことだしオレたちには気にせず買い物を続けているだろう。
(なにかあれば携帯に電話してくるよな)
どこに向かっているのか、あてもなく走って行くの後ろをゆっくりとついて行く。食品売り場からは離れてしまった。お菓子が目的ではなかったらしい。くるりとオレの方へ身体の向きを変えて小さな指をさしてオレを呼ぶ。
「パパ、アレ!」
「ん?ジェラート?食べたいわけ?」
「ママがすき」
「パパもすきなんだけど。知ってた?パパがママにジェラートを教えてあげたんだよ」
「もすきー!いつもね、ママとたべるの」
やっと走ることを止め、横に並んだに手を差し出すと小さな手でオレの人差し指を握った。にとってはコレが手を繋いでいる状態で、ジェラートのショーケースを覗きたいらしく、ぐいぐいとジェラート屋の前までオレを引っ張って、ソノ前にくると両手をあげて抱っこを要求してきた。抱っこしてと言ったり、下ろしてと言ったり、子供は忙しない。
「いつもね、はチョコといちごたべるの。パパはミルクといちごでしょ?」
「うん。よく知ってるね?」
とジェラートを食べたことは殆んどなかった気がする。オレ自身ジェラートを食べることが久しぶりで、前に食べたのがいつかも思い出すことができない。週に一度は食べていたであろう学生の頃では考えられないことだ。
いつも、ということはとここへ買い物に来たときはジェラートを食べていたということか。
「ママがおしえてくれたの。パパはミルクといちごがすきなんだよーって」
「へぇ、ママってパパのはなしするんだ?」
「パパのおはなしいっぱいするよ?いっぱいおしえてくれるの」
他にはにどんなことを話しているのか。は素直だから聞けば教えてくれるだろうが、なんとなく聞かないでおくことにした。ただ、ここでがにオレのはなしをしていると思うと頬が緩んでしまいそうだ。
はチョコとイチゴがすきだと言った。イチゴはオレがいつも選ぶ味で、チョコはがいつも選んでいた味だ。
(オレたちの娘だよ)
この腕で軽々と持ち上げられる小さな温もりが無性に愛おしい。どうしようもなく、愛おしいと感じる。に抱く感情と似てはいるが少し違う。どちらも大切な存在、無くてはならない存在ではあるけれど微妙に違う。オレにしかわからない違いなのだろう。オレだけが抱ける特別な感情だ。
「、ジェラート食べるんでしょ?チョコとイチゴでいいの?」
「…ママは?」
「ママは買い物中。もうちょっとで終わると思うけど」
自分からの元を離れたのに、はどこかと焦ったような淋しいような表情を見せる。ジェラートに夢中になるかと思えば次は母親が恋しくなったらしい。
オレの服を掴んでいる力が少し強くなった。
「ママのとこいく」
小さな声ではあったけれど、はっきりとした声でそう言った。視線はジェラートのショーケースには向けられていなくて、さっき自分が走ってきた方向へ向けられている。自分の視界にの姿を捉えようと、じっと見つめていた。
「ジェラートはいいわけ?」
「んーん。ママもいっしょにたべるの。きょうはママとパパ、いっしょにたべなきゃママがないちゃうもん」
「ママが泣いちゃう…?」
「そうだよ」
オレの肩にアゴを乗せて動かすことのなかった視線をおもむろにこちらに向けてきた。小さいながらに、ソノ瞳には自分の意志があり、ソレを伝えようとする真摯さを宿している。子供、子供と言えどその前にも立派な人間だ。あどけない年相応の表情ばかりではなく、時々見せる鋭い瞳に驚くことがある。(ソノ鋭い瞳がオレにそっくりだとは言う)今もそうだ。子供は素直な生き物だから、見たもの感じたことをそのまま言葉で紡ぐ。大人になれば余計な言葉で飾り付けることを覚え、むしろそのまま紡ぐことは恥ずかしいとさえ言う。だから、子供の言葉はリアルで、少ないボキャブラリーの中から必死に伝えようとしてくれているモノに耳を傾けるべきだとオレは思うのだ。
「まえきたとき、パパのおはなししながらママさびしそうだったもん。だから、ママもいっしょじゃなきゃダメなの」
――が淋しそうだった?
「はやくママのところへもどる」と言い出したを片腕で抱き直し、ちょっと待ってとあやしてから携帯を取り出した。まだ買い物をしているだろうか。指が勝手に動くようにの番号を押して携帯を耳に押し当てる。出るだろうか。
呼び出しのコールを聞いている間、考えていたのは先程のの言葉だった。アレは大人が喋っていた言葉を覚えてそのまま復唱したわけではなく、自身が感じたこと。の目にはが淋しそうに映ったというわけか。理由まではにもわからないと思うが、原因はオレなのだろう。に淋しい思いをさせていたことを娘に言われるまで気付けなかった自分に腹が立つ。
4コール目で「もしもし!?」と少し慌てた様子のの声が聞こえた。
「もしもし、オレだけど。買い物終わった?」
『終わったよー。どこにいるの?探しても見つからないし…』
「ごめん。が走り出しちゃってね。いつも食べてるっていうジェラート屋の前にいるんだけど、来ない?」
『あ…行く』
「ん、じゃ待ってるから」
『わかった』
小気味良い音を立てて携帯を閉じる。しがみついてじっと耳を澄ませていたに笑い掛けた。
「ママ、こっちに来るってさ。だから、ここで待ってようか」
「うん」
やっと嬉しそうに笑って首に両手を回してくる。の柔らかい暖かな頬がオレの頬に触れて心がくすぐったくなる。
「ママはね、チョコとちょこちっぷくっきーたべるの。チョコばっかりなんだよ」
「そうなんだ?ママはチョコがだいすきだからね。も知ってるだろ?」
「うん。ママねのチョコもたべたいなーっていうの」
表情は見えないが声が楽しそうに伝えてくれる。のことをはなしてくれるときはいつも笑顔で、それだけでがすきなのだと伝わってくるから、先程のが淋しそうだったと伝えてくれたことが余計に気になってしまうのだ。子供に変な心配をかけさせるなんてことはしたくない。ましてや、はまだ幼いのだ。
キュッと更に抱きついてきての小さな手がオレの髪をいじるように動かし、こそばゆい。
「あ、ママだ!」
「来た?ずいぶん早いね」
「2人共こんなとこにいたの?もー探したんだから」
「ごめん、ごめん。ほら、もジェラート食べるよね?チョコとチョコチップクッキーだって?昔から変わんない組み合わせじゃん」
なんで知っているのかとビックリした表情を見せたと思えばが言ったと理解したのか、すぐに照れたように微笑んだ。多分、の考えていることはわかる気がする。オレも今、同じことを考えているだろうから。
「チョコとチョコチップクッキーは私の想い出の味なんだもの」
オレの予想は見事に的中していた。オレにとってはミルクとイチゴが想い出の味というか、当時を思い出させてくれる味だ。言葉にしたことはないがも同じことを思ってくれていたということか。
「ねぇ、ねぇ。じゃ、のおもいでのあじはいちごとチョコ?」
【想い出】の意味もちゃんと理解していないだろうに、が小首を傾げてオレとを交互に見つめている。が小さく笑い出した。つられてオレも笑ってしまう。だけが頭上にクエスチョンマークを浮かばせて目で答えを要求してくる。
「の想い出の味はイチゴとチョコであってるよ。これでみんな想い出の味があるね」
「うんッ!みんなでジェラートたべよ?」
「オレ買っといてあげるから座ってなよ。ほら、。ママと一緒に行って待ってて」
屈んでを下ろすと、くすぐったかった小さな手が離れる。ソノ手はすぐにの手へと伸ばされていた。
「あい!、まってる」
「ん、偉いね。あ、、荷物大丈夫?」
「大丈夫ー。ありがと」
買い物をした袋を右手に持ち、と左手を繋いで空いている席に向かうを見つめる。狭そうに席の間を通る2人を少し見守って、店員に3人分の注文をした。さっきまでのオレたちのやり取りを聞いていたのか、店員の若い女性が笑顔を浮かべていた。
出来あがった3つのジェラートを受け取り、楽しそうに喋っている2人のもとへ向かう。オレに気付いたが「パパー」と呼びながら大きく手を振る。
「ハイ、の。気を付けて持つんだよ。コレがのね」
「パパ、ありがとー」
「ありがと、翼」
微笑んだ顔が2人共そっくりで愛しい存在だというのを改めて感じ、頬の筋肉が緩くなってしまいそうになる。ソレを堪えてお礼の言葉を受け取った。ジェラート1つでこんなに幸せになれる家族はうちぐらいじゃないだろうか。ソレもソレで椎名家らしい。
スプーンでイチゴの方をすくって口に運ぶと、やっぱり懐かしい味がした。学生時代のジェラートとは違うジェラートでも、どこのジェラート屋でもそれほどの大差はない。比べるのは種類の多さの方だろう。
「オレのも食べてみる?」
「あ、食べたいー。私のもあげる。はい、あーん」
「あー…、ん。美味いじゃん」
何も考えずに目の前に差し出されたスプーンに反応してしまったが、昔はオレとだけだったこの状況に今はもいるわけだ。はなんとも思っていないようだが、娘にこんなところはあまり見られたくないオレはに視線を移すと自分のジェラートに夢中になっていて、さっきの行為は見ていないようだった。少し安心してオレのジェラートを美味しそうに頬張っているに視線を戻した。
【ママさびしそうだったもん】
二度とそんな言葉をに紡がせはしないと自分自身に誓い、口の周りに白とピンクをつけて一生懸命頬張っているを見つめ微笑みかけた。ソレに気付いてが「パパ、おいしいねー」とニッと笑う。美味しいね、と返事をしてティッシュで口の周りを拭ってやった。
「つぎのパパのおやすみのひもまたこようねッ!」
満面の笑みを浮かべているの頭を撫でながら、次のオフはいつだったかなと考え、また来ることを約束した。
体の隅々まで沁みわたる熱情
(翼、は?)(2階で寝てるよ。はしゃいで疲れたみたい)(よっぽど翼とのお買い物が楽しかったのね)
090621 家長碧華(#6*真夏さんへお返し)
タイトル提供:as far as I know