と初めて出逢った日のことは今でも鮮明に覚えている。ソレは今にも雨が降り出しそうな、分厚い雲に覆われた少し気味の悪い夕方のことだった。
ラウンズに入って大分経った頃、半ば無理矢理に近い形でジノに連れられ、2人でたまたま入った店が全ての始まりだった。ソコはまさにあのときの世間の状況そのままを表していた。日本人はブリタニア人の権力にひれ伏し、至る所で日本人の、しかも女性の小さな悲鳴が聞こえてくる。
あまり日本人とブリタニア人との関係をあれこれ言わないジノがボソッと「ここは酷いな」と眉間にシワを寄せ、口にした程だ。表に掛かっていた【酒場】の看板は間違っている。そんな楽しい雰囲気はどこにも感じられなかった。
「スザク、ここはやめて違うところにしよう」
「…そうだね。…ッ!?」
急に後ろから衝撃を受けた。振り返るとキレイな黒髪の日本人女性が飲み物を乗せていたであろうお盆を胸の辺りで抱くように抱えて怯えた表情で僕を見ていた。「すみません…ッ」と謝る言葉が辛うじて聞こえてきて、一瞬目が合うと彼女はすぐにうつむいた。
ジノが「大丈夫か、スザク?」と言う言葉に片手だけで返事をして、彼女の顔を覗き込む。大丈夫かと尋ねられるのは僕ではない。彼女の方だ。
「大丈夫?」
暴力を振るわれると思っていたのか身体を強張らせ、おそるおそる視線を上げてやっと僕と目が合った瞬間、彼女は大きな目を更に広げて固まった。暫くの沈黙が続く。やっと紡がれた声は、か細くて小さかったけれど心地よく僕の耳まで届いた。
「…え、あ、私、ですか?」
「うん。大丈夫?」
「全然、平気です。…私の方が、ブリタニア人の貴方に」
「違うよ」
「え?」
彼女の言葉を途中で遮り、困惑した表情を和らげてあげようと笑ってみせた。僕の表情も硬かったかもしれない。僕はここにくる客の人たちよりも彼女に近い存在だということを伝えたかったのだ。今思えばソレは不思議な感覚だった。それほど、すでに彼女に何かを感じていたのかもしれない。
「僕は日本人なんだ。…今はイレヴンとは名乗ってはいないんだけど、君と同じ日本人だよ」
「まっ、スザクの場合、名誉ブリタニア人の上に、いや、ブリタニア人の上に立てる地位なんだけど」
いつものように僕に腕を回して楽しそうに笑うジノ。遠慮なく体重をかけてくるから、正直やめて欲しいんだけれど、ジノがやめるとは思えなくて何も言わずに僕が我慢している。
ジノのソノ言葉に彼女は小首を傾げた。理解ができていないようだ。そんな彼女の仕草を見て、ジノが続けて言おうとしている言葉にイヤな予感がする。
「ナイト オブ ラウンズって知ってる?」
予感が的中してしまった。1つ息を飲み込む。
僕たちの正体は隠さなければならないモノではないが、彼女にはまだ告げたくはなかった。ラウンズだと知って彼女の態度が改まるのがイヤだったのもあるが、ブリタニア側にいる人間だと知って嫌われるかもしれないと思ってしまったのだ。今更、何を言う。大勢の日本人に【裏切り者】と罵られてきたくせに、たった1人の、しかも今日初めて出逢った彼女には嫌われたくないと願う。そんなワガママが通用するはずがない。
「ジノッ!僕のことはいいから」
もう遅いと解りながらも止めに入るが、ジノは全てを言い切った後だった。何の悪意もなしにラウンズだと明かし、どこか誇らしげな表情で彼女を見つめていた。
「ナイト オブ、ラウンズ?…ごめんなさい、私ニュースとか見なくて…。世間一般を知らないヤツだって、怒られるんですけど。あ、もしかしてブリタニアの地位が高い方々でしたか…ッ!?ご無礼を申し訳ありません…」
「いや、違うよ。だから、謝らないで」
ホッとしてしまった自分は一体どうしたらいいのだろう。少なくとも僕のワガママが通用したらしい。
すぐにこの話題を変えようと違う話題を考えた。そうだ。大事なことを聞いてもいないし、伝えてもいなかった。ヴァインベルグの名を紡いでも彼女にはブリタニアの名門貴族だとはわからないだろう。むしろ、ソレは僕の枢木の名の方が危険かもしれない。日本最後の首相の名前くらい、同じ日本人なら知っているはずだから。
「名前、聞いてなかったよね。僕は枢木スザク。彼はジノ・ヴァインベルグ。よかったら君の名前も教えてくれないかな?」
「私は、です」
「か。よろしくね、」
「よ、よろしくお願いします」
上手く状況を飲み込めていない表情を浮かべるも礼儀正しく深くお辞儀をしてみせた。苦笑いしてしまう。枢木の名にも、ヴァインベルグの名にも反応しなかったのは良かったが、そんな畏まった態度はやめて、素の彼女が見たい、知りたいと思う。どんな笑顔を見せてくれるのか気になってしまう。
「今度ここに来るときはを助けに来るから」
「…え?」
「それじゃ、今日は帰るよ。何も注文しなくてごめんね。ジノ、帰ろう」
「いいのか、スザク」
「あぁ。また今度来よう」
次はナイト オブ セブンとしてランスロットに乗ってくるかもしれないし、枢木スザクとしてくるのかどうかはわからない。だけど、次に彼女に会いにくるのはここから救い出すためだと言い切ることはできる。
彼女が助けを求めたわけではない。僕のただの余計なお世話かもしれない。でも、彼女をここに居させたくないのだ。あんな怯えた表情をさせたりしたくない。笑って過ごせる日々を与えてあげたい。そして、ソノ隣に僕が居れたらどんな気分なのだろう。多分、彼女以上に僕の方が幸せだと感じてしまいそうだ。
「スザク、私も手を貸すぞ」
「…ジノものことが?」
「まさか。横取りするような趣味はないさ。1人で戦うよりも2人の方が心強いだろう?」
「うん、ありがとう」
じゃぁ、ラウンズの権限を最大限に活かしてランスロットとトリスタンで来ようか。出動要請はなんとかなるだろう。
こんなちっぽけな酒場にラウンズが2人で奇襲をしかけるなんて、周りは不思議に思うかもしれない。しかも、相手はナイトメアという兵器を持っていないというのに、こちらはナイトメアを2騎まで使って。たった1人の女性を救うには大袈裟すぎる。
そう遠くない日に実行するであろう作戦を頭の中で軽くシュミレートしながら、いつの間にか薄らいだ雲の間から見える月の方へと歩き出した。
我慢しきれずに零れるのは、明るい笑い声でありますように
(守ってやりたくなるなーちゃん)(え、ジノさっき…!)(ははッ、ウソだよ、スザク)
090807 家長碧華(#6*香神さんへお返し)
タイトル提供:as far as I know